「わたしの黒歴史」 - ボタン (お題スロット)

お題「わたしの黒歴史」

幼少時、おそらく1〜2歳くらいのときだったと思うが、鼻にボタンを詰めて母親を困らせたことがある。

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ぼたんとは? 

「ボタン」というと真っ先に思い出すのがiPhoneのホームボタンであるが、最近のiPhoneにはホームボタンというものは存在しない。それどころか、わたし自身が1〜2歳のときなんかはiPhoneどころか「携帯電話」なるものは存在していなかったのでまず「iPhoneのホームボタン」は違う。
かと言って、では「固定電話のボタンか?」と言われると、まずあの電話の基盤からどうやってボタンを取り出せと言うのか。ましてや幼少のガキにそんな高度なことができるわけがない、のでこれも違う。
同じ原理で、エレベータのボタンなどの類も該当しない。その前にエレベータのボタンレベルになると大の大人でも鼻の穴には入らない大きさなのだ。これも違う。

では、花の種類の「ぼたん」だとどうか?
まず家にぼたんの花が咲き乱れていたわけでもなし、「はな」は「はな」でもこのぼたんは「花」である。「Flower」である。「花卉」である。ぼたんの花びらを鼻に詰めることもできなくはないが、その場になかったため詰めようがない。のでこれも違う。

ここまで書いておいて予想できるものといえばあれだ、服にひっついている「ボタン」のことである。形は丸とか四角とか色々、素材はプラスチックやら貝やら木やら。色とりどりで何でもござれ、大きさは豆粒から10円玉くらいまで様々だ。いやもっとか。とにかく裁縫屋に売っているあれだ。「ボタンつけをしてくれる嫁さんが欲しいなぁ」とぼやいている男が言うあれだ。え?今は言わない?知らんそんなの。そして服飾用品で失くすものナンバー1のあれだ。
つまりはここで言う「ボタン」とは上の画像のようなあのボタンである。わたしが鼻の穴に詰めたのはあの画像のようなボタンである。

さっきからアホなことばかり書いているのでそろそろ本題に行きたいと思う。
断片的な記憶を元に書くが、「鼻にボタンを入れた」ということは事実である。

ことの顛末

ある日の、確か午後だったかと思う。天気は晴れだったか曇りだったか。気温不明。季節不明。夏ではなかったはずだ。
何を思ったのかわたしは突然母親の目の前でいきなりボタンを詰めた。
慌てふためいた母親はわたしをベビーカーに乗せ、近場の耳鼻科へ駆け込んだ。

耳鼻科にて、医者は困り果てた顔をしながらも無言でわたしの鼻の穴からボタンをどんどん取り出していった。
その反対に、ぎゃーぎゃーと泣きわめきながらも医者の行動への抵抗ができないわたし。自分でボタンを入れたくせに泣きわめくほうがおかしい。まったくもって自業自得である。
その後、しばらくの間ネタとして母親をはじめ家族から散々いじられたのである。

ちなみにボタンの形状は丸みを帯びた四角で、クリーム色地にゴールドの線の模様が入ったボタンであった。
あのボタンはどうしたかわからないが、おそらく耳鼻科で捨てたものだと思われる。いや持って帰ったのかもしれないが、返されても微妙である。結局は捨てるほかないのである。

 

一連の動きに対する考察

仮にもし自分の子供がこんなことをしようものならばどうなるか。
耳鼻科に連れて行きボタンは取ってもらう。ここまでは自分の母親がしたことと同じ行動に出るだろう。
が、取ってもらったボタンは絶対に受け取らない。返されても困るのだ。ゴミが増えるだけである。燃やせ燃やせ、そんなボタンどもは全て燃やせとわめき散らすはずだ。
そして「待ってました」と言わんばかりにきっとこういうブログでネタにするであろう。ここまでが一連の流れとなる。だから何だ?いや知らない。

 

もう30もとっくに過ぎた人間なのでさすがに「ボタンは鼻の穴に詰めて良いか否か」くらいの判断はできる。わたしの下す答えは「否」である。だが、鼻の穴にボタンを詰めたいという人間が現れればそれはそれで止めない。あえてアドヴァイスをするのであれば、「窒息と鼻血には注意せよ」これだけである。

ただ、幼少の頃に自分が起こしたこの出来事はなかったことにはできない。「過ちを犯した過去は消せない」の典型的な例である。
この事実を知る者は現在、自分自身以外では実の母親のみだが、母親がうっかり口を滑らすという大失態を犯さない限りは闇の中へ葬り去ることが可能だ。母親の記憶から消してほしいくらいの黒歴史となっている。
しかしあれだ、母親には口を滑らせてほしくはないくせになぜこんなところで暴露するのか?もう自分自身がネタとしてwebの世界で生きていけばいいや、と半分投げやりになっている今日この頃なので惜しみなくこの事実を暴露したのだ。
もしどこかの知らない誰かがこれを読んで「だっせー奴、ぷぷぷw」と笑ってくれりゃそれはそれでまた良し。ほんとにただそれだけである。

 

おまけ

余談だが、東京都は品川区の五反田にある「ぼたん」という居酒屋が懐かしい。
数年前まで東京の本社にいた頃、会社から近かったため特に金曜日にはしょっちゅう世話になっていた。

mainichibeer.jp

※このブログがよくまとまっていたので転載。


一言で言えばいわゆる「大衆居酒屋」。大通りではなく裏通りにある「隠れ家」的な居酒屋だ。そのせいか建物の外見からすると居酒屋っぽくはないのだが、ひとたび入り口の引き戸を開ければ3階まである広い居酒屋である。
しかも満席になるにつれ、至近距離にいる人間との会話の声が聞き取りづらくなる。次々と酔っ払いが量産されていき、客の数と一人アタマの声のでかさが比例していく。隣のテーブルはもちろんだが、至近距離の人間の声でさえもかき消す。そのぐらい騒がしい居酒屋なのである。
また、ここは会社から近いこともあって、金曜なんかは必ず会社の人間の一人や二人とは軽く遭遇していた。逆に会社の人間と遭遇しなかった日はなかったのではないだろうか。

肝心の料理だが安くてそこそこうまい。唐揚げや漬物などの定番品はもちろん、なめろうなんかも食べさせてくれる。地味に感激したポイントである。
新橋で一杯引っ掛け、SL広場前でさんまのスーパーからくりTVに出演するのも良いが、こういう大衆居酒屋ってやつで飲むのもなかなかオツなものである。ネクタイゆるめて酒を片手にでかい声でぐだぐだ喋りたいリーマンは一度行ってみるとよろし。

東京に帰ったらぼたんへ行きたい…ぼたんを思い出してはいつも思う。
そして紛れもなく、「黒歴史のぼたん」も脳裏をかすめる。