「子どもが本好きになって勉強のやる気UP!5つの効果的な伝え方」に共感

たまたまはてなブログを徘徊していたら面白い記事を見つけた。
言及せざるをえなくなったので筆を執ることにした。

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こちらのブログのこの記事。
10/20の記事「子どもが本好きになって勉強のやる気UP!5つの効果的な伝え方

 

「どのように伝えたら子供が本好きになるか?」という5つの方法について。
抜粋させてもらうと、5つの方法はこういうこと。

  1. 本を読むと言葉の数が増えて考える武器が増える
  2. 本を読まないと、言葉の数が増えないので考える力がつかない
  3. 本を読むと言葉がたくさん手に入るのでアイデアを思いつきやすい
  4. 本を読むと想像力が豊かになる
  5. 本を読むと想像力が豊かになる

あれっ、4と5が同じタイトルになっている。が、内容は違う。
4.で言及していることは、一つの言葉だけでもたくさんの言い方ができるということ。5.で言及していることは、文字だけを頼りにすると自分の中でオリジナルの描写ができるということである。

特にわたしが共感したのは5.である。
昔、高校生の頃だが現国の授業で芥川龍之介の「羅生門」をやっていたときのことである。仕事場を首になった下人が行くあてもなく雨宿りをしていたら、死体から髪をむしり取る老婆に出くわし、イラっとした下人は老婆を追い剥ぎにする、というよくわからないストーリーである。
当然挿絵もなにもないただの文章だったためめいいっぱい想像力を働かせて自分なりに描写した。ちょうどよいモデルが高校教師の中にいたのだ。老婆があの英語のババアだとしたら、下人はあいつかなぁ、などと。
で、老婆のセリフで「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、かつらにしょうと思うたのじゃ」というのがあるのだが、勝手にモデルにしていた英語のババアがしゃべっているところを想像しては一人で爆笑していた。授業そっちのけで一人でそんなことばっかりやっていたので成績は恐ろしく悪かったのだが、現国は一番好きな教科であった。

確かに想像力については思い当たるフシがあった。小さい頃寝る前に母親が本をよく読み聞かせてくれていた。小さいうちは自分で本が読めないから母親の読み聞かせを通じて「本を読む」ということをしていた。
もう少し年齢が上がると、たくさんではないが本を読んでいた。この経験で脳の中で自然と想像力のレベルを上げていっていたのだ。

ただ、こういう描写は本を読んでいないとなかなかできないものである。ブログの記事にもあったが、テレビや映画などで映像化されていれば、全員が同じ人物、同じ景色を見るわけなので、何も考えずに見るわけである。
これに対して文字のみだったならばどうなのか?今即座に思いついた文を書いてみるのだが…「コップで水を飲む」とだけ書かれていたとしよう。情報はこれだけ。
ある人はセロ弾きのゴーシュのような場面を想像するかもしれない、ある人はかわいい女性が寝起きに透明のコップで水を飲んでいる場面を想像するかもしれない。つまり同じ表現をしても想像する場面は千差万別なのである。

すなわち、本を読んでいるうちに自然とこのような訓練をしていることになる。その結果として「想像力が豊かになる」ということに繋がる。

あくまでもわたしの見解であるけど、子供の頃にこのような訓練をやらなかったからといって大人になったらまったく身につかないか?と言われるとそうでもない気がする。
子供の感受性や想像力には劣るが、大人になっても十分に身につけられるのではないだろうか?もちろん、一朝一夕に身につくものではないが、やる価値は十二分にあると思っている。

そういえば話は少し変わるが、小説のテレビドラマ化でガッカリ、という声をよく聞くのだが、よく考えるとこれは「小説を読んでの自分の中での描写とのギャップがすごかった」ということが起因するのではないだろうか。わたしもたまにガッカリすることがあるのだが、個々人で勝手に小説の中の登場人物像を作り上げてしまったゆえの結果だと思う。ある意味、「想像力のレベルが上がったことによる副作用」的なものかもしれない。

色々書いたが、あれこれ想像しながら本を読むのって結構楽しいものである。
そういうわけで、さっきも同じようなことを書いたが高校時代は羅生門を読みながら勝手な想像をしては一人でニヤニヤしていたのである。当然ながら授業中、先生の話はまったく聞いていなかった。想像力がまるでなさげな先生が現国担当だったから、そんな教師の話を聞く価値はないと自分で判断したのでね。

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