麻雀について -高校の思い出-

高校のときに麻雀を教えてもらった。
親からでもなく、悪い大人たちからでもなく、高校の友人からである。
当時のわたしの中では麻雀と言えばタバコを咥えながらリーマンのオッサンどもが接待でやるもの、そういうイメージしかなかった。そんなわけでまさか17〜8の高校生である自分が麻雀をかじるとは微塵も思っていなかった。

 

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 高校時代の悪友の中に麻雀ができる奴がいた。「ペクさん」というあだ名の女だ。わたしに「アヘラ」というあだ名をつけてきた人間だ。
そいつは小学校1年の頃からお母様の手ほどきを受け、麻雀の技術を身につけてきたのだ。小学校1年の分際で麻雀牌をかき回す女の子の姿は正直想像したくない。
高校3年の頃、彼女は生徒会という名のわけがわからない組織が発行する生徒広報誌に麻雀のエッセイを書いていた。家族で麻雀をやり、メンタンピン一盃口ドラドラでロンするもフリテンという失態を犯し云々…という内容だったと思うが、もう忘れた。

高校2年の春、1年からの付き合いの4人組で昼休みを過ごしていた。
突如ペクさんが声をあげる。
「麻雀部を作る!麻雀を教えるからみんな覚えてくれ!!」
…事態が飲み込めなかった。有無を言わさず麻雀をやらされるハメになったのだ。

翌日、ペクさんはカードタイプの麻雀牌を持ってきた。
麻雀牌はうるさいし持ってくるのが大変だとのことで、わざわざ厚紙でカードタイプの麻雀牌を手作りをしてきたという。トランプをやる容量で持てば麻雀だとばれないだろう、との悪知恵だ。
バカだ、此奴は究極のバカである。しかも徹夜で作ってきたというから救いようのないバカである。
肝心のわたしは麻雀のことをすっかり忘れていた。

早速昼休みに麻雀がスタートした。麻雀をやっているということがバレてはいけなかったので麻雀卓の並べ方はせず、カードの山から一枚一枚引いていくというやり方をしていた。当然わけがわからずチンプンカンプンになる日々が続いた。
少し覚え始めてきた頃、ペクさんから「哲也」という麻雀漫画を借りた。こっそり授業中に漫画を読んでいたら見つかるという大失態を犯しつつ、だんだん麻雀にハマっていった。
我々は全員、ペクさんの罠に嵌められてしまっていたのだ。

なお、当然ながら「麻雀部」は学校の部活として認められていなかった。なにせ我々は素直に先生の元へ麻雀部を作ると交渉しに行くような人間のわけがない。「麻雀=賭博」と勘違いされることを危惧してか、先生に見つからぬようこっそり活動をする非公式の部活となった。そしてこの後、麻雀部の活動は見事に卒業まで続いたのである。

ある日、卒業も近くなった頃の話である。ほぼ登校することもなくなってきた頃だ。
卒業後、我々4名は全員違う道を歩む。音大へ進む者、短大へ進む者、就職する者(ペクさん)、専門学校へ進む者(わたし)。
会う頻度がめっきり減ることは間違いない。もしかしたら今後このメンバーで二度と会えなくなるかもしれない。

そうだ!卒業前に麻雀をやろうでないか。
せっかくの麻雀だ。いつも使っているカードの手作り麻雀牌じゃなくて、モノホンの麻雀牌を使って豪快に打ちまくろうではないか。
話はすぐまとまった。2月○日の13時に学校集合で。

2月の終わりだがまだ寒い日が続くある日。麻雀のためにこの日はバイトを一日入れずフリーにしておいた。
はやる気持ちを抑えながら高校までチャリを走らせた。
温かいジュースを片手に集合。ペクさんは麻雀牌を持って現れる。
早速職員室へ行き、教室を貸してくれと先生に頼み込む。何に使うのか?と聞かれたが適当にお茶を濁す。
当時、何て言って教室を借りたのかは全く覚えていない。

借りた教室に入るな否や、内側から鍵をかける。
休む間も無く、カーテンをひっぺがし、合わせた机に敷く。
麻雀牌をぶちまけ、音を殺しながら牌をかき回し、我々の半チャンが始まった。
慣れない手つきで手積みをする。牌がバラバラバラ…大爆笑。 
それポン!あれ、どっちに置くのこれ。リーチ!あっ、千点棒ってどれー!?ロン!ちょっと、それ役なしなんだけど?!アンタ罰符ね!えーっ!!!
…何がなんだか(笑)。

外が暗くなり始める頃、麻雀は終了。万年ビギナーばかりの半チャンは結局誰が勝ったのかはわからない。終了後、想像をはるかに超える疲労が我々を襲った。
だが、教室をめちゃくちゃにしてまで外にばれぬようこっそり打った半チャン、モノホンの麻雀牌で打った半チャンは格別であった。疲労はじわじわと得体の知れぬ爽快感に変わっていった。

この日の出来事は他の何にも代えられない思い出となり、30をとうに過ぎた今でもわたしの心の中でずっと光を放っている。
きっと死ぬときにもう一度思い出すだろう。

その後の話。
結局高校を卒業するまでには麻雀はほぼ上達しなかった。点数計算はおろか、役もほぼ覚えられず、リーチ、タンヤオ、ツモ、ロン、七対子、大三元、小三元、国士無双、四暗刻…これしか覚えていない。
高校卒業後、やっと「メン・タン・ピン」の「ピン」が「平和」だと知る始末。ゲーセンで麻雀ゲームをやったり、本を購入して勉強したりと徐々に覚えて行ったが、他人との対局をしたのは後にも先にも高校時代のみである。
数年前に一時期「麻雀 天極牌」というアプリでのオンライン対局にどハマりしていたが、そのうち飽きてやめた。あれ以来麻雀はやっていない。

一応言っておくが…特に高校時代、麻雀を覚えたからといってフリー雀荘へ行ってボコボコにされたとか、賭博でお縄になったとかそのような目には遭っていない。そういう行為はしないようにしていた…というより、そこまで麻雀の実力はなかったのでやりようもなかった、というのが正解である。もちろん大人になってもやっていない。
高校時代のわたしはタバコを吸う、酒を飲むなどロクでもない人間だったが、身の危険が伴うことを知っていたのかこの辺だけはきっちりわきまえていた。

余談だが、88で星になった祖母は60から麻雀を覚えたそうだ。覚えるなり近所のジジババと対局を重ねて楽しんでいたという。それも、どういうわけか恐ろしく強かったそうだ。
麻雀は頭を相当使うからか、そのおかげで祖母はボケることもなくこの世からおさらばしたのである。麻雀はボケ防止に一役買うのか?
祖母が星になってから初めてこの話を聞かされたときの悔しさと言ったら。頼むから祖母がこの世に存在する時代へ飛ばしてほしいものだ。気がすむまで手ほどきを受けてきたい。
祖母よ、孫に麻雀を教えたくないからといってこの世からトンズラするのは卑怯だぞ…。

そういえば豊中市は蛍池駅近くに健康麻雀教室があった。
いい加減ここへ行って勉強してこようと思う。
30代、麻雀リベンジ。

写真:フリー写真素材ぱくたそ

 

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