「せつぶん」と言うと「節分」、「拙文」、「接吻」←それは「せっぷん」と読むのだ。

今週のお題「わたしの節分」
節分について語ることなぞないので今日はわたしの「拙文」がテーマだ。

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「拙文」とは一体何なのか。「下手くそな文章」「まずい文章」などの意味を持つが、一方で自分が書いた文章をへりくだって言うときに使う言葉だ。「私の拙文ではございますがどうぞよろしくお願いします」的な。

単純に「下手くそな文章」という意味であるということで話を進めると、このブログの文章全てが「拙文」ということになる。このブログの目指すべきところは「世界一つまらないブログ」なので「拙文」がどばーっと並んでいるのが正解。一応文章を書くにあたって推敲なるものはするのだが推敲したところで二重丸をもらえるわけではない。「ブログを書く&推敲するということを遂行した」という結果が残るだけである。

「節分」のシーズンはだいたいこの時期、本ちゃんの節分の日2/3が終わったあと数日間までになるかと思う。今日もそうだが「売れ残りの恵方巻の大量処分」というとんでもなく胸糞悪いニュースが流れてくるが(恵方巻なんざやめちまえ!)、大概そんなものかと思われる。
が、このブログに限って言うと「せつぶん」は「節分」ではなくて「拙文」なのだ。そうなってくると、「拙文」というのは365日ずっとということになる。
よって「わたしのせつぶん」とは「わたしの拙文」となり、インターネット上で365日毎日繰り返される日常そのものなのだ。ちなみに「まだブログは開いてから1年経過していないじゃないか」とツッコミたくもなるがまぁ仕方ないんだ。

さて昨日は大阪で演奏会に出てきた。打ち上げで浴びるようにビールを飲んだが演奏会のあとのビールってなぜあんなに旨いのか。というより「演奏会<打ち上げ」になってしまう。こればっかりは本当に仕方がないのだ。
昨日の演奏会でのアンコール曲は「フニクリフニクラ」だった。毎度の定期演奏会で必ず最後に演奏している曲だ。
この曲、曲名だけ聞いても「?」だと思うが、「♪鬼〜のパンツはなんたらかんたら」と歌っているあの曲だ。つまり節分当日の演奏会、締めくくりにぴったりな曲であった。
ちなみに昨日は節分ということもあり、この曲を演奏中に指揮者が客席に降りて客に豆を配っていたようだ。そうか「何かやるんで」と言っていたのはこのことだったか。
昨日までいた門真市の吹奏楽団は毎年この時期に演奏会をやっているので、ある意味「わたしにとっての節分」は吹奏楽団の定期演奏会、ということになっていたのだと思う。昨日で退団してしまったが、もしまたいつか大阪に住むことになったら再度お世話になるつもりだ。で、また「わたしの節分=吹奏楽団の定期演奏会」ということになるのだろう。

あ、結局「節分」についても語ってしまった。
以上で「わたしの『拙文』」終わり。