佐藤雅彦著「毎月新聞」を読んだ。新聞がみよりも小さく、新聞がみよりも分厚い「新聞」。

ここのところ本が無性に読みたくなりもっぱらamazonで購入しまくっている。活字だろうが漫画だろうが読みまくっている。
書籍は現物だろうがkindle版だろうがどちらでも購入するが、活字の書籍ならばせめてkindle化するもんだろ、と悪態をつきたくなる。

毎月新聞

先月の話になるが、佐藤雅彦の「毎月新聞」という文庫本を購入した。一体どうやってこの本と出会ったのかはまったくもって覚えていないのだが…あれか、もしかすると「エッセイ」で検索したのかもしれない。わたしはエッセイとやらがかなり好きなのであれこれ探しまくった結果出会った一冊、とでも言えよう。

恥ずかしながら佐藤雅彦さんという方を存じ上げていなかったのだが、肩書きは「メディアクリエイター」だそうな。CMをたくさん手がけていたり、Eテレの「ピタゴラスイッチ」を手がけていたり。かたや慶應義塾大学で教壇に立っていたこともあるそうだ。うう、せめて「ピタゴラスイッチ」くらいは見ておきたかった。

さてこの「毎月新聞」だが、パッと見ると「?」だ。「毎『日』新聞」じゃないんか!?と言いたくなるが「毎『月』新聞」で合っている。これは1998年の10月から毎日新聞に月イチで連載されていたものである。
上の画像は本の表紙だが、このようなレイアウトで掲載されていたようだ。一般の新聞と同じく左上に漫画も掲載されている。が、「四コマ」ではなく「三コマ」だ。ここの点もちょっとクスッと笑える。もちろんこの漫画の作者も佐藤さんご自身だ。

感想を簡潔にパッと述べよ、と問われたら「やばい、これ、面白い」の3語だ。
とこれだけではどうも締まらないのでもう少し書いておく。
佐藤さんご自身が日頃感じていることを毎日新聞のミニスペースで綴ったものなのだが、物事の捉え方のひとつひとつにびっくりさせられる。
例えば、表紙にすでにあるけど「じゃないですか禁止令」。そういえば普段「〜じゃないですか」と発してしまっていることがある。

この言葉の力は、個人の欲望のカムフラージュにとどまらない。
(中略)
だれかがその言葉を言った途端、そのことが、既成の事実と化してしまう、実に巧みな言い回しである。

本文から引用させてもらったがまさにこの通り、グサリときた。なんとも意識せずに「〜じゃないですか」とよく使っていたが、確かに自分の中で勝手に「既成の事実」として片付けられていた。言われてみればごもっともである。

またこの本の中ではときどき数学の話が出てくる。わたしは高校時代数学が好きになれず2年次に落第をしてしまい(なんとそれでも進級できた 笑)、3年次に数学を意図的に避けたという過去がある。
しかしこの本の中で少しだけ出てきた数学の話が面白く、今更ながら数学を勉強したくなった。というか、今の時点でしなきゃいけなくなっているのでちょうど良い。ああ、中・高時代にこの本に出会っていたらどんなによかろう!授業の数学を聞くだけじゃ決して好きになれない。違った角度から数学を見てみたかった。

そういえば佐藤雅彦さんといえば「ポリンキー」や「バザールでこざーる」、そして「おかあさんといっしょ」で大ヒットしていた「だんご三兄弟」の生みの親だ。今まで意識していなかったが確かにどれも絵のテイストが同じだ!「だんご三兄弟」のブームが過ぎてかなり経過した今になって生みの親の書籍を読むとはなんか変な感じだ。

しかし毎日新聞で月一回連載されていたときは1998年10月〜2002年9月。書籍の第一版が2009年9月15日刊行。我が家は毎日新聞を取っていなかったのでリアルタイムで読めなかったのだが、それでも書籍になっていたのは10年も前である。そう考えるともろに「今更」感満載だ。自分自身がスピードについていけてないのは書籍の世界で顕著に現れている。

大人にもかなりオススメなのだが、やはりこの本は頭の柔らかい中・高時代に読んでおくべきかと思う。円周率の3.14は小学校5年かそこらで習ったかと思うが、小学校5年ではこの本は(文章的に)多少難解かと思われるので理想を言えば中学1年くらいで読むのがベスト。

毎月新聞 (中公文庫)

毎月新聞 (中公文庫)